投稿

2月, 2013の投稿を表示しています

生命循環の輪

●  宇宙の実、地球 地球には宇宙の実の精”うみ”がある ● うみにはさらに”精”があり それが集まって”みず”となる ● みずは光と交合し みどりという生命を生む ● みどりはやがて地に根をおろし ”き”となる そして、 その ”き”はどんどんと 天を目指して伸びてゆく ● やがて”き”は                →頂きに達することの出来ないみどりは その頂きに達すると、き(気)となり       太陽に呼応するように色とりどり 天に昇り太陽のひと交わる             の花を 咲かせる。 ● ひと交わった”き”はその上昇を止め  →”ひ”をためた花は実りとなる ”ひ”となる ● ひはその温度を下げてゆき       →熟した実は地に落ちて、 ”ち”(地)に還る                 動物や他の生物の栄養となる ● ”ち”はたちまちにして広がり      →あとには種が残る、種は次の やがてその働きを止め”し”(止)となる。         ”うみ”へと繋がる。 止となったしは次に”し”(始)へと移り変わる。 それは、静脈血が動脈血へ変わるように 実から種になるように 新たな”うみ”へのはたらきへと 繋がってゆく。 このようにして、生命は循環しその循環に色相環も呼応しているのです。

【犍陀多(カンダタ)の光の糸】

【犍陀多(カンダタ)の光の糸】 犍陀多の光の糸は誰にでもある。 タマスの泥濘(ぬかるみ)であがいているとその光の糸はたちまち にして切れてしまう。ラジャスの炎の海の中ではとても光の糸は届 かない。こころ静かに見据えることができれば、光の糸はたちまち にしてその身を包んでくれる。しかしこの至光(サットバ)の時な すべきことを忘れれば、たちまちにして光は消え、タマスの奈落へ 転落する。忘れないこと、それが大事。。。 芥川龍之介の 犍陀多の蜘蛛の糸を光に例えてみました。φ(゜゜)ノ゜

自然律の詩(うた)

 ながいながい眠りの中で、光は目覚めた。 それは本当にかすかな輝きであったが 次々と広がりはじめ瞬く間に壮大な光雲となった。 これ以上ないほど鮮烈な光の覚醒は それによって照らされるあらゆるものを生み出した。 生み出された万物は相互に働きあい そしてまた新たなものを生み出した そのうち、ついに水の精(aquanome)が生み出された。 水の精は光と交わり命を生み その命は進化を続け様々な生命を紡ぎだした。 そして生命の海はやがて意識の芽を生むこととなる。 そして生命と意識が結びつき ひと、が生まれた。 ひと、は唄をうたい、踊り、祈りをささげ、そして語り合い 意識を育むようになった。 それは”太古”の昔も今も変わらず続いている。 そうして意識は繋がり、海となり やがて大きなうねりとなる。 大きなうねりとなった意識の海は また、新たな光を生む そして、光はまた新たな物語を始めるのだ。 それが、私たちの生きる目的 それに交わるものは歓びと健康を得 それに逆らう者は災いを招き人々を苦しめる。 そこから離れるものはタマスの泥濘に足を取られ、自らを苦しめる。 人々は宗教や哲学、音楽、芸術、或いは風習としてそれを伝えてきた。 生きる目的を忘れずに。。。