2013年2月17日日曜日

生命循環の輪

 宇宙の実、地球
地球には宇宙の実の精”うみ”がある

うみにはさらに”精”があり
それが集まって”みず”となる

みずは光と交合し
みどりという生命を生む

みどりはやがて地に根をおろし
”き”となる
そして、
その”き”はどんどんと
天を目指して伸びてゆく

やがて”き”は                →頂きに達することの出来ないみどりは
その頂きに達すると、き(気)となり       太陽に呼応するように色とりどり
天に昇り太陽のひと交わる            の花を咲かせる。

ひと交わった”き”はその上昇を止め  →”ひ”をためた花は実りとなる
”ひ”となる

ひはその温度を下げてゆき       →熟した実は地に落ちて、
”ち”(地)に還る                 動物や他の生物の栄養となる

”ち”はたちまちにして広がり      →あとには種が残る、種は次の
やがてその働きを止め”し”(止)となる。         ”うみ”へと繋がる。
止となったしは次に”し”(始)へと移り変わる。

それは、静脈血が動脈血へ変わるように
実から種になるように

新たな”うみ”へのはたらきへと
繋がってゆく。



このようにして、生命は循環しその循環に色相環も呼応しているのです。




【犍陀多(カンダタ)の光の糸】

【犍陀多(カンダタ)の光の糸】
犍陀多の光の糸は誰にでもある。
タマスの泥濘(ぬかるみ)であがいているとその光の糸はたちまちにして切れてしまう。ラジャスの炎の海の中ではとても光の糸は届かない。こころ静かに見据えることができれば、光の糸はたちまちにしてその身を包んでくれる。しかしこの至光(サットバ)の時なすべきことを忘れれば、たちまちにして光は消え、タマスの奈落へ転落する。忘れないこと、それが大事。。。

芥川龍之介の 犍陀多の蜘蛛の糸を光に例えてみました。φ(゜゜)ノ゜

2013年2月11日月曜日

自然律の詩(うた)

 ながいながい眠りの中で、光は目覚めた。
それは本当にかすかな輝きであったが
次々と広がりはじめ瞬く間に壮大な光雲となった。

これ以上ないほど鮮烈な光の覚醒は
それによって照らされるあらゆるものを生み出した。
生み出された万物は相互に働きあい
そしてまた新たなものを生み出した

そのうち、ついに水の精(aquanome)が生み出された。

水の精は光と交わり命を生み
その命は進化を続け様々な生命を紡ぎだした。
そして生命の海はやがて意識の芽を生むこととなる。

そして生命と意識が結びつき
ひと、が生まれた。
ひと、は唄をうたい、踊り、祈りをささげ、そして語り合い
意識を育むようになった。

それは”太古”の昔も今も変わらず続いている。

そうして意識は繋がり、海となり
やがて大きなうねりとなる。

大きなうねりとなった意識の海は
また、新たな光を生む
そして、光はまた新たな物語を始めるのだ。

それが、私たちの生きる目的
それに交わるものは歓びと健康を得
それに逆らう者は災いを招き人々を苦しめる。
そこから離れるものはタマスの泥濘に足を取られ、自らを苦しめる。

人々は宗教や哲学、音楽、芸術、或いは風習としてそれを伝えてきた。

生きる目的を忘れずに。。。