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オナラ

 オナラはえらい 食べたものの、是非を すぐに教えてくれる くさい屁は 食べたものがあっていない かぐわしいオナラは 食べたものがあっている オナラはえらい 食べたものの、是非を ただちに教えてくれる。 オナラに聞けば 食べるべきものがわかる。 そんなことさへも、分からずに クサイクサイと鼻をつまんでいる。 屁は果 食べ物は因

全て

  どんなに風が吹き荒れていようとも 天は決して動くことがない 混沌の中の静寂 この中に 全てがある

いただきもの

 食べ物はいただきもの 自然からのいただきもの だから、いただく前の姿を見れば 食べ物の働きがわかる。 稲 実ほど頭を垂れる稲穂 玄米を食べると一人静に考えたくなる。 芋 地中で蓄えて肥える。 芋を食べるとエネルギーが蓄えられる。 鮭 川をさかのぼる鮭 鮭を食べると、病期からの回復を助ける。 魚 魚はパクパク口を動かす。 魚を食べると、パクパクおしゃべりがしたくなる。 鶏 鶏はトコトコと忙しく歩く。 鶏を食べると、むしょうに歩きたくなる。 緑の野菜 緑の野菜は、まっすぐに伸びる。 緑の野菜を食べると、フラツキが治る。 まっすぐ立てるようになる。 ぶた ぶたはブーブー、力強い。 ぶたを食べると、タフになる。 牛 牛はモーモーと怠惰 牛を食べると、体が重く怠くなる。 食べ物はいただきもの 自然からのいただきもの だから、いただく前の姿を見れば 食べ物の働きがわかる。  病気を治したければ 食べ物をいただく前の姿を見て 考えればいい。

ひだり と みぎ

 ひだりは 火 ( ひ ) 垂 ( だ ) り、陽の力。 みぎは 水氣 ( みぎ ) 、陰の力。 急ぎ、怒り、欲望は左に力が入り。 心配、恐れ、負荷は右に力が入る。 人はそのために、体を痛めていることを知らない。 症状がでたら、何か特別な 病 ( やまい ) だと思いたがる。 病 ( やまい ) は原因ではなく結果、原因の多くは 己 ( おのれ ) にある。 古代の人はそれを知っていた。今の人はそれを知らない。

波

波 命が始まる時、 それは口から入り、食道に向かい 胃に入ると、小腸、大腸と順に巡ってゆく。 そして、肛門から出て行くと また、口へと向かう。 その波は90分で体を巡る。 そして、それは何度も何度も、繰り返す。 生きている限り、繰り返す。 もし、 その波が滞ると、 その場所に病(やまい)が生じる。 もし、 その波が間違えて、気管にはいると 呼吸障害が起こり、 過換気や喘息を引き起こす。 もし、 波が滞ったら、道を間違えたら 本来の道へもどるよう、念じること そっと手をあて、波を誘うこと、 それが手あて。

味

憔悴しきって、生命力が低下したとき。 命をつなぐのは、水 奈落の底から救い出すのは塩 体をしっかりとさせるのは苦味 そして、永い養生の末、回復してきたら 体に火をつけるのは、辛味 疲れを癒すのは酸味 そして、最後にやっと幸せの甘味が 味わえるようになる。 憔悴しきって、生命力が低下したとき。 間違えても、此の順を違えてはならない。 もし、間違えたなら、振り出しに戻ってしまう。 此の順は奇しくも、五行の五味の相克の順 なっている。 注:ここででてくる塩は塩化ナトリウムではありません。 様々なミネラルを含む天然の塩です。

こころ

   こころ こころは、この世を構成する最小粒子。  天地万物がこの粒子で構成されている。    そして、そのエネルギーが固まりとなり、    魂となり、 生命に宿る。 そのように考えてみると、 私たちはこの世の一部であり、 全てであること、 全てと一体であるということが理解できるようになる。  こころは頭の中にだけあるのではない、体中にある。  そして、目の前の空気中にも、土にも、石にも、水にも、  草にも木にも、虫にもある。  天地万物一体とはそういうことなのだろう。  古来より日本人はずっと、  そのことを感じてきたはずだ。